鹿児島を長く統治した島津家は藤原氏を称し又源氏を名乗った。
初代 島津忠久公は丹後局 (たんごのつぼね) と源頼朝の間に生まれた。
  稲荷信仰の経ある『稲荷心経奉讃文』にも 「源頼朝 日夜これを持誦したる功徳に
より 程なく世を取りたまへり....」などとあり頼朝自身も稲荷信奉者であったようで
す。
また「秦氏」の末裔ともいわれそのせいか「稲荷大神様」を代々氏神様として敬っ
てきた。私の尊敬する島津家の猛将「島津維新(義弘)公」の朝鮮出兵の折、稲荷
大神様の御眷属神である、「神狐」(青狐と赤狐)に命を救われた逸話は有名であ
る。通常は五穀豊穣、商売繁盛の神として有名な稲荷大神様も鹿児島では「戦闘の
神」「勝負必勝の神」としてほかとはその性格を異にしている。(鹿児島県姶良町の
『高麗稲荷大明神』)

 稲荷神社は全国各地に数多くありますが、鹿児島は他県と比較すると割りにに多いよ
うです。歴史のある「お稲荷さん」の杜でたくさんのたまゆらが写りました。

どうぞ、ごゆっくりご覧ください。


(撮影地:鹿児島県鹿児島市 撮影機材:デジカメ〔ニコンCOOLPIX7500〕 )

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稲荷心経奉讃文

そもそも稲荷心経と申す御経は 文字の数わづかに九十四なれど 諸経の華を選み出されたるお経にしてその昔 源頼朝 日夜これを持誦したる功徳により 程なく世を取りたまへりかくも霊験ある御経なれば われら一途に念誦したてまつらば百八煩悩
を解脱して 諸願成就疑ひなきものなり